駅弁大学生のブログ

地方国立の大学生です。

書くことないので本の紹介です

 一ノ宮です。沖縄一人旅の際に、太宰治の『斜陽』読み終わりまして今日は感想書いていきたいと思います。

 「僕が早熟だと装って見せたら、人々は僕を早熟だと噂した。(略)。僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい降りを装っていると噂した。」

 「僕は下品になりたかった。」

 「人間は自由に生きる権利を持っていると同様に、いつでも自由に死ねる権利を持っているのだけれど、(略)。しかし、母の生きているあいだは、その死の権利は留保されなければならないと僕は考えているのです。」

 印象に残っている言葉です。人間のどうしようもない部分。特に”生きるとはなにか”と考えさせられる話だったなと思います。それぞれ登場人物には生きる目的を持つと同時に、死なない理由というのも持ち合わせている。生きる目的と聞くとなにやら崇高で、荘厳なイメージが先行してきますよね。私はそう感じてしまう性質の人間です。私自身生きる目的だとかいう綺麗な言葉が好きではない。気持ち悪くてしょうがないと感じてしまいます。しかし、その実、生きる目的というたいそうなものでなくても死なない理由だけで生きていて良いんだな、と感じましたね。あぁ、それでいいんだと。

 昔の作品あるあるなのだが、序盤はなんとも読み難い。読んでは置いて、読んでは置いての繰り返し。太宰治の『斜陽』も読むのを諦めそうに何度もなったが、読み切れて良かった。最後の圧巻な物語。太宰治の文体好きだなぁと常々思いましたね。

 この本を読んでから、私の死なない理由を考えました。とりあえず、太宰治川端康成村上春樹、の本すべてを読破することを掲げておきます。なかなか時間がかかりそうですね。

 以上にて感想終わりにします。それではまた明日。